皆さんは何にお金を使いますか?
食事や生活用品など生活を豊かにするために使う人、旅行や勉強など思い出や経験といった形のないものに使う人、他にもたくさんの使い道がありますよね。
今回は、ミニマリストを目指す前のわたしの、お金の使い方についてお話ししたいと思います。
思い出はプライスレス?
記憶力に自信がない
「プライスレス」という言葉をよく聞きますよね。
金銭的な価値では測れないほど貴重なもの、大切なもののことを表す言葉です。
わたしもだいぶいろんな人に言われてきた過去があります。
わたしは思い出や経験にお金を使うのが苦手です。
それは何故か。わたしに記憶力が全然ないからです。
完全にわたしのせいなのは承知の上ですが、本当に記憶力がないんです。
ちなみに高校時代の記憶は大好きだった部活以外一切ありません。中学生以前はもう思い出せない。
ここ1年くらいの記憶も曖昧です。
だからこそ、消えてなくなるものにお金をかけるなんて、、、、という考えがこびりついてしまったんですよね。自分で稼いだお金を使うとなると尚更。
心の中のもったいないおばけが大量発生していました。
思い出はプライスレスってなんなんだ、、、、金が無に帰しただけじゃねえか、、、、
我ながら悲しき人間でした。
今しかできないことを体験しないともったいないよ!と何度言われたことか、、、
でもわたしは忘れちまうんだ!

自分でちゃんと計画して行った旅行はこの広島ともう1回だけ。
証が欲しい
元来、自分がお金を使ってもいいと思えるものにしかお金を出したくない性格のわたし。
部分ドケチとでもいうんですかね。自分が財布を開いても許せると思うものにはどんどんお金を出すのに、許せないものにはとことん出さない。
わたしの場合、財布を開いても許せるものは、「形あるもの」でした。
何故なら確実にお金を使ったという証が存在していてほしいから。
それも、値段相応のものが。
ここまで読んできて、思い出もお土産買ったり写真撮ったりすれば忘れないじゃん!と思ったかもしれません。
そういうことじゃないんですよね、、、
お土産買うのも写真を撮るのも思い出を忘れないためにさらに課金してるようなものじゃないですか。
もっとお金をかける羽目になるわけです。
ちなみに飲食も消えてなくなるので「形のないもの」扱いでした。
東京はただでさえ物価が高い、、、!
普通より食い意地が張っているので、いかに安くお腹を満たせるかしか考えてなかった、、、、
カスみたいな自炊と、約1000円くらい食べればわたしのお腹がいっぱいになるマクドナルドとサイゼリヤで生きていました。
コスパ重視のお買い物
そんな価値観から、形あるものに金をかけた方が絶対お得じゃん!となるのがわたし。
お金に見合ったものが確実に手元に来るし、1度手に入れば半永久的に使えます。
1万円のものも1年大切に使えば、1日約30円換算。
わたしは物持ちがいい方なので、壊れなければ5年でも10年でも使います。
ちなみに今使っている大学用のペンケースは中学入学の時に買ったもの!そろそろ10年選手のベテランになってきました。
交通費を浮かすために2時間平気で歩くタイプのわたしは、お金を使うときは必ずコスパを考えてしまいます、、、、、
一瞬で消える思い出や経験より、確実に還元されたと一目でわかる「形あるもの」にお金を使う方がお得だ、と思ってしまったんです。
グッズ主義のオタ活
グッズ厨になった理由
この精神は、例に漏れず推し活にも直結しました。
グッズを買うことで、推しにも還元できるし自分も推しにお金を使った!という証をちゃんと手に入れることができる。推しにも(?)わたしにもWin-Winの関係です。

グッズ量=愛の大きさの価値観ではないですが、グッズが増えてくればくるほどわたしはこの子をこんなに全力で推してるんだ!という自信に繋がっていたのは事実。
都会ハイの影響
それでも上京したての頃は、気軽に会場に行けるのが嬉しくて、推しの現場に当社比行きまくりました。だって1回くらいは、生で推しを見てみたいじゃないですか。
実家にいた頃は、田舎すぎて遠征不可避。交通費が現場代よりも高くなってしまうのが許せなくて、結局1回も行きませんでした。
だから余計に交通費をあまりかけずに現場に行けるというだけで、お得になった気がして!ライブもお話し会も展示会もとりあえず行っちゃえ〜!の精神になっていました。
実は一回だけですが、遠征にも行きました。
どうしてもライブに行きたくて、横浜公演だけ応募しても当たる気がしなかったので神戸公演も応募して見事に各1公演ずつ当たったんです。
当たったからには行くしかない。日帰りで夜行バスに揺られていきました。

この時は本当にハイだったな、、、、
その記憶はもちろんほぼ覚えていない。楽しかったのは覚えているけれど、何がどう楽しかったのか中身が全くないんです。それを許せるか許せないか、わたしは許せませんでした。
こんなにお金かけたのにな、、、ともったいないおばけが出てきます。
どの現場もライブ中はとても楽しかったのに、終わった後はいつも虚無。記憶はどんどん薄れていく、、、買い込んだグッズを眺めては思い出す日々。
推しを1回は生で見てみたい、、、という田舎者の欲のために現場に行っていたので、都会ハイが落ち着いてきた上京2年目くらいから一気に我に返り出しました。
そこからはどんどん現場に行く機会が減っていきました。
そうして、完全なる在宅グッズ厨が出来上がってしまったのです。
歌を聞くだけならYoutubeやサブスクなどがありますからね。1度生で見ることができた後は、それだけで満足できてしまったのも大きかったかもしれません。
アリーナ席が当たっても全然推しの顔が見れなかったライブもあって、、、、、
推しと同じ空気を吸いたい、というよりも推しの顔がちゃんと見たい!の気持ちが強かったので。
見にくかっただけで、全てが終わったという気持ちになったこともあります。
現地より多分配信の方が向いている笑
結局現場に行ったのは1界隈につき2回くらいかな、、、、?
幸せだったな、と最期に思えるように
ミニマルに暮らすという考え方
そんな風に「形ないもの」にお金を使えなかったわたしですが、現在は少しだけ考え方が変わってきました。ミニマリストという考えに出会ってから、「形あるもの」を買うことへの執着が減ってきたからです。
取り憑かれたように「形あるもの」という名のグッズを買い、お金を使った証、そして自分が生きてきた証を集めてきたわたし。詳しい話はまた別の記事で語ろうと思っていますが、買うだけで全然活用できていなかったことに気づいてしまいました。タンスの肥やしがたくさん、、、
以前までは、手元にあるだけでHAPPYの気持ちでした。ですが、ミニマリストの方の投稿を多く拝見しているうちに、きちんと活用しないのもお金の無駄遣いなのではないかと思えるようになったんです。
気づくのが遅すぎる、、、、!!!!
活用できないということは、わたしが所持できるキャパシティを超えているということ。
大好きな推しをずっとタンスの肥やしにしておくのは申し訳ないし可哀想。
わたしは推しにこんな仕打ちをしていたのか、、、、?!
そこでスッと肩の荷が降りたんですよね。グッズの量でオタクとしての優越感に浸るよりもお気に入りのグッズを大切に大切に愛でるオタク人生を送る方が推しに胸を張れるのではないかと。
そんなこんなでお金にも、そして心にも余裕が出てきて、ちょっとだけなら思い出にお金を使うのも悪くないかもしれないなと思い始めたんです。というか、お気に入りのグッズを活用するには一緒に思い出を作りに行くしかない!と思ったんです。
推しに絡むことなら、行動に移すのも厭わない。それがオタク__________
今まで、思い出や経験にお金を使うのはもったいないという完全主観に縛られて暮らしてきたわけですが、ほんのちょっとだけ面白くないなと思う自分もいました。
思い出や経験にお金を使うのが苦手なだけで、思い出を作ったり経験したりするのが嫌いというわけではなかったんですよね。ひどい話ですが、自分がお金を出さなくていいのならホイホイついていきます。
今思うと、お金にも執着していたんだと思います。自分で稼ぐようになってからはこれまで以上にお金を大事に使わないと!と躍起になっていました。
思い出も形あるものにしたい
最近、凝り固まっていた「形あるもの」を買うという執着が軽くなり身軽になったからか、自分の最期についても考えるようになりました。その時に、走馬灯で流れる映像増やしたいな、、、って思ったんです。
幸せだったなって1番思えるのってやっぱり思い出なんじゃ、、、?
まだまだこの執着が軽くなっただけでなくなったわけではないので、いまだに思い出や経験にお金を使うために行動に移そうとして躊躇ってしまうことは多々あります。

今までの自分から変わりたい!と思ったわたしは、幸せノートを書くことにしました。
ものとして残っていない、だけど幸せを感じた思い出を気軽に記録するノート。
記憶力がないのはもう変えられないので、開いたらいつでも思い出せる玉手箱を用意しました。
自分の価値観を大幅に変えるのは難しいことだけど、ちょっとずつ意識を変えていくことならできます。まずは、思い出や経験を形あるものにするのがわたしにとってベストなんじゃないかと考えました。
入ったことのない店で外食をしてみたこと、推しのライブを配信で見たこと、友達と遊びに行ったこと。走馬灯に流したい、小さな幸せをぎゅっと詰め込んでいくことが今の目標です。
このノートのページがなくなる頃には、きっと新たな自分になっていることを願って。