人間関係って難しい。毎日思います。
そうは言ってもわたしは比較的人間関係は友好にやってきた方だと自負しています。家族とも仲が良いし、大喧嘩して絶交した友人もいないし、気まずくなってやめたバイト先もありません。
でも、なんかどんどん減っていく。心を許せる人が居なさすぎる。これってわたしだけですか?
連絡とり続けるのって無理じゃない?
リセットしてないのにリセットされる現象is何?
関係を続けるのって難しくないですか?
世の中の、浅く広い交友関係をお持ちの皆さんはどう生きているんだ、と考えることがあります。
わたしはコミュ障×陰キャ×1人でどこまでも行けるの3拍子が揃ってタイプ。そのため、あまり人に頼らずに行動できるのですが、別に人と関わるのが嫌いなわけじゃないんです。
人より1人でいたいと思う時間が長いだけで。
これまでの学生時代も、一応それぞれの学校生活でしっかり仲良くしてくれる友達もいました。
でも、環境が変わるとほぼ全部の関係がリセットされます。
それはお前が関係を続ける努力をしないからだろ!!!!
おっしゃる通りでございます。本当にそう。
でも言い訳させてください。関係を続けるためには、定期的に連絡を取り合うのが最も有効だと思うんですが、連絡するための話題ってなくないですか?え、話すことって何、、、?
対面で会うからこそベラベラ近況を語ってしまうわけで、文面で語れるかって言われるとわたしはちょっと冷静になってしまいます。この話をしよう!と思ってから、文字を打つというひと手間を挟むわけですからね。勢いで口から出すのとは訳が違います。そのままの勢いで文字に起こして送れる人が大半なんでしょうが、わたしの場合1文字1文字打ってるとだいぶ落ち着いてくるんです。
いや、この話題、わたしだったら返答に困る〜〜〜〜!ってなりません?
そんなこと考えてたら連絡なんてできなくなっていくわけで、同じ環境にいるという圧倒的な話題を無くしたわたしにはどうすることもできず。あんなに仲が良かったのに、一気に疎遠になり、実質リセット状態。わたしは、意図的にリセットなんてしてないのに、、、、。
オタク話の難しさ
ちなみにわたしにはオタク話という強い手があるのですが、オタク話って結構極端なんですよね。
オタクは早口ってよく言いますが、それは文面でも同じ。わたしもよく推しの最新情報に興奮して長文を錬成してしまいがちです。でも、それをそのまま送れる人って限られてきませんか?
人には人の乳酸菌、人には人の思想って言いますからね。熱量ですれ違うと文面でのやり取りって続かないんです。同じ思想、同じ熱量ならどこまでも続きますが、オタクってたとえ同じ人が好きでも推し方って人それぞれ違うので、、、、。
わたしの思想と熱量についてこれる!って思える人にしか送れない。どこに地雷が埋まってるかわかりませんから。頻繁に話してないと話題には出しづらいですよね。
わたしはというとオタクが狂ってるのを見るのが好きなので、自分が通ってない界隈の話でも全然ウェルカム!いくらでも語っちゃってよ!となるし、突然意味のわからない長文を送られてきても大丈夫。
なので結構ニコニコして他の人の話を聞いています。
でも聞き専って、対面だと好印象だけど文面だとちょっと不利な気がします。感嘆詞は、文面映えしない言葉ランキング殿堂入りですから。あれは、対面で表情が見えてこそだと思ってます。
自分が長文で語っておいて、相手から『わかるわかる』『わたしもそう思う〜!』みたいに短い文で返ってくると我に返っちゃうんです。この返答が悪いってわけではなくて、ただ文面だとちょっと評価が分かれそうだな、という話。対面での会話って残らないですが、文面はしっかり残りますからね。文章量の差がひと目見てすぐわかるほど可視化されるので、一気に相手との熱量の差を突きつけられる訳ですよ。そうなるとわたしは、ああ自分の話にばっかり付き合わせちゃってるな、と思ってしまうわけです。ちゃんとわたしの話聞いてくれてるの?みたいな疑心暗鬼にもなるじゃないですか。だから自分が聞く立場にいる時はもう1歩も2歩も踏み込んだ感想を付け加えないと、ってなります。ちゃんと楽しんであなたの話聞いてるよ〜!って気持ちを文面だけで伝えるのって難しい!!!
逆に世間話みたいに『あの子可愛いよね〜』とか『あなたの推し昨日見たよ!』みたいにオタク話始めるのも案外話続かないんですよね。結局オタク話で会話を続けるにはもっと踏み込んだ深い話になっていくしかないわけで、生半可な覚悟で話題に出すのは危ない。どっちかがついていけなくなる未来しかないので、、、、、。オタク話って耐性がないと、ドン引きにすぐ直結しますからね。コミュニケーション能力が高ければ切り抜けられるのかもしれませんが、その人とその話題について深く語り合えたり聞き続けられたりする覚悟がないのなら話題に出さないほうがいいとわたしは思ってます。軽い話のまま続くことってないですよ。わたしの経験談だと、90%の確率ですぐ話が終わっちゃいます。
オタク話って両極端すぎる!!!
そんなこんなでぐるぐる考えた結果、わたしは個人宛に文面でオタク話をする機会が減りました。オタク話に限らず、誰でもいいから誰かに聞いてほしい!と思った時はもっぱらXのツイートかインスタのストーリーです。
個別チャット、もしくはグループに送ることもあると思いますが、返信ありきでいると相手の出方でだいぶ左右されるんですよね。相手も返信しなきゃ!ってなるし、こっちも返ってこないとあれ、、?ってなる。既読無視と未読はできないですし、わたしが結構返信ないことが気になるタイプなので。
コミュ障×陰キャは既読無視や未読無視された後に会話を切り出す勇気なんてものはありません。拒絶されたと思ってそれまでです。弱い、生き物なでございます、、、、。
その分、Xのツイートやインスタのストーリーなんかは返信が返ってくると思って出してないから、比較的気が楽に話を出せるんです。
いいねボタンとかは、覚悟がなくても気軽に押せますからね。そのアクション1つで見てるよ!の合図になるわけです。世界共通だから返信の内容で考え込むこともない。それだけでわたしは誰かに聞いてほしい欲が満たされます。
別にそのいいねボタンが押されたからって、え?!あなたも?!と個別に話しかけにいくわけでもないじゃないですか。本当に話がしたいなら相手から返信がくるし、わたしも返信します。
でもその精神だと、自分が関係を続けたい特定の人物と関係を続けるのは難しいんですよね。受け身すぎて。
Xもインスタも惰性で繋がってる人も多いですから。LINEを交換するのが嫌だから、こっち交換しとくか、、、みたいなこともあるじゃないですか。それで自分のツイートやストーリーにいいねされたりまたは相手にいいねしたりするのって、それって果たして広く浅く関係が続いているって言えるんですか?という話。
それで続いてる認定ならわたしにだってたくさんいるよ、、、、!!
しかも、ちゃんと関係を続けたい!って思ってる人に限ってただ繋がってるだけになりがち。
何年も個別に話してなかったらそれは、隣に住んでるだけの人と同等じゃないですか!!!
いいねって通りすがりの挨拶みたいなものだし、、、?
まあ結論から言うと、オタク話は広く浅く関係を続けるための話題として向いてないってことです。上手くやれてる人がいるなら教えてほしい。深くないとできないよ、、、、
自分をさらけ出せる人=友達
ただ連絡先を持ってるだけになりたくない

見てください、これ。
わたしのLINEなんですが、現在友だちは17人です。そのうち3人は家族なので実質14人。
多いのか少ないのかはわかりませんが、今のところわたしがここ1年以内に連絡を取った人だけ残してあります。それ以外は全員消しました。
前章で、ただ連絡先を持ってる人とは広く浅く関係が続いてるとは言えないという自論を展開しました。その上で、何年も連絡してないのに連絡先持ってる必要ある?とわたしはなります。
LINEって、個別チャットかグループチャットかの二択じゃないですか。ストーリー機能みたいなのもあるにはありますけど、今のところそれを活用してる人ってあんまりいない。みんなインスタがありますからね。だから、個人的に連絡を取り合わないならLINEで繋がっている意味ないんですよ。
ただ繋がるだけならインスタかXか教えとけばいいわけですから。その2つなら個別に連絡取り合わなくてもアクション取れるすべがありますしね。
わたしはいきなりのリセット癖はありませんが、フェードアウトしてある程度時間が経った関係性はガッツリ消します。ちゃんともう連絡取らないことを半年くらい見定めてからです。
嫌いになったわけじゃないですよ!推しに誓って。
LINEは本物
なぜこんなにLINEの連絡先を消したがるかと言うと、LINEがわたしにとって1番プライベートに近いからです。家族とも繋がっているものなので、名前もだいぶ本名に近いんです。
それに対して他のSNSは、全部ネット用の名前でやっています。同級生たちと繋がっているインスタも自分の本名も友達の名前も一切出さず、誰の顔写真もあげません。遊んだよ〜!みたいなストーリーは全て食べたご飯とかの写真にしています。ギリギリ手でピースしてる写真が写るくらいですかね。
なぜそうしているかというと、わたしのオタ活のスタンスがそういう感じだからというのもあります。
別にオタクをしている人格があるとでもいうんでしょうか。わたしは現実逃避したくて推しに救いを求めるようにオタ活をしています。だから、オタ活をしている時だけは、自分が自分であることを忘れたいと思ったんです。
そこで生まれたのが、このブログも書いている『らあ』になります。
わたしだけどわたしじゃない、そんな『らあ』になりきってオタ活をするようになりました。
だからゲームに入れるユーザーネームも、推しに名前を書いてもらう時も全部『らあ』でやっています。10年くらいオタクをしているときは完全にわたしは『らあ』だ!と思って生きてきたんです。
インスタもXも元々はオタ活の様子を上げるために作ったので、もちろん『らあ』のスタンスで運営しています。外向き用なので、惰性で繋がっててもまあ痛くも痒くもないのが本音。
ですがLINEは完全に本物のわたしです。LINEを交換しているというだけで一気に自分の最深部までこられた気になるんですよね。
だから、あんまり仲が良くないというか連絡を取らない人が友だち欄にいるとムズムズしちゃうんです。
もちろん、本名で連絡を取り合わないといけない人も数多くいるのでその場合はLINEの交換を渋るというわけじゃないんですが、用が済んだらさっさと消したくなります。
それくらい、わたしは本当の自分を曝け出すのが怖いってことなんでしょうかね。LINEが、隠している自分に到達できる可能性のある最短ルートなんです。
本物の自分として向き合いたいって思える人としか本当は交換したくない。
まあ、一種の逃げでもありますが。スタンスは自由ですからね。
多分ほぼわたしが悪い
ここまでわたしのだいぶ偏った考えをご覧になってきたと思いますが、書き出してみるとわたしがこんな感じなのが一番の原因な気がしてきました。
心の許した人=友達のスタンスなので、ちょっと会話するくらいの知り合いはただの知り合い。わたしは友達とずっと友達でいたいんです。知り合いに降格させたくないのにーーー!!
連絡を取るのが面倒で、誰とも全然連絡を取らないわたし。また1人また1人と友達が知り合いに降格していきます。
さて、1年後には友達は何人いることやら、、、