どうも。読書が大好きな大学生です。
最近の夢は、読書の良さをいろいろな人に知ってもらうこと。
このブログでは、そんな野望を胸にたくさんの本を紹介していきます!
一緒に自分じゃない人生、歩みにいきませんか?
出会いは一瞬
表紙で運命を感じるのもまた一興
本日おすすめするのがこちら。
辻村深月先生の『島はぼくらと』という作品です。

講談社から2013年に発売された小説で写真はわたしが所持している文庫版です。
好きすぎて、お気に入りのシーンに付箋を貼っています笑
表紙には港のような場所で駄弁っている4人の少年少女たち。ひと目見ただけだと、この4人本当に見た目がバラバラ。仲が良いところはあまり想像できないくらいのバラバラ度です。
だけど急に集められた初見の仲だとしては、だいぶ気を許しているような。
ここはどこなのか、この4人はどんな仲なのか。表紙だけでも早く読みたくなる本って良いですよね。
小説は挿絵のないものがほとんどなので、この小説を表現する画像って表紙と裏表紙、そして宣伝用の帯やPOPくらいしかありません。だからこそ、パケ買いって結構理にかなってるんですよ。
表紙で自分の興味をくすぐられた本なんて、絶対買うしかない!!!!
辻村先生は、『かがみの孤城』など映像化した代表作も多い直木賞作家さん。名前を知っている方も多いんじゃないでしょうか?
様々な問題に切り込んだ作品が多く、多彩なジャンルを展開している方です。
この本は、直木賞を受賞した後の最初の作品。
当時刊行されていた作者の本とは一味違う、でもまごうことなくこれは辻村深月の作品だ!となる一冊です。
テストだって出会いの場
自分の話ですが、実はわたし、この本とは運命の出会いをしています。
本との出会いは人の数だけあります。
友達から勧められた人、好きな作家さんの最新刊だから手に取った人、などなど。先ほどお話ししたように、パケ買いする人もいると思います。どんな出会いであれ、新しい世界を知るのに間違いなんてありません。
わたしがこの本と出会ったのは中学3年生の秋。
2学期の期末テストの文章問題で本文が記載されていたのがきっかけでした。
受験前の実質最後の校内テスト。いつもなら教科書記載の作品から抜粋してくるところ、受験対策に先生が新しく探してきて問題を作ったのがこの作品だったんです。
無類の読書好きとして、年間図書室利用回数表彰なんかもされていたわたしですが、テストの文章題の作品を自分で調べて全文を読みにいったのはこれが初めてでした。
記憶力がないので、テストで初めて読んだ時何を思ったのかはっきりともう覚えていません。でも、その後すぐに図書館で借りて読んだことは覚えています。読み終わってすぐ、自分でも購入したことも。
わたしは、気に入った作品は手元に置いておきたくなるタイプ。それから今日まで、1番好きな本としてわたしの本棚で輝くことになりました。
あらすじ
文庫版の背表紙に描かれているあらすじはこちら。
瀬戸内海に浮かぶ島、冴島。朱里、衣花、源樹、新の4人は島の唯一の同級生。フェリーで本土の高校に通う彼らは卒業と同時に島を出る。ある日、4人は冴島に「幻の脚本」を探しにきたという見知らぬ青年に声をかけられる。淡い恋と友情、大人たちの覚悟。旅立ちの日はもうすぐ。別れるときは笑顔でいよう。
舞台は、本土からはフェリーの高速船で20分の位置にある、人口3000人弱の島です。
母が地域活性化産業の中心にいる朱里、島で大きな威厳を持つ網元の家の1人娘の衣花、父親のロハス計画で幼い頃に島に引っ越してきた源樹、保育士の母を持ち、両親と妹と暮らす新。
家庭環境も見た目もバラバラの4人は、島でたった4人だけの同級生という絆で良き友人として支えあって生きてきました。
冴島には、中学校までしか学校がありません。そして島から本土にある学校に通うことができるのも高校まで。大学に進学したければ島を出るしかない。それは、冴島で暮らす子どもたちに必ず訪れる宿命です。
現在高校2年生の4人も、家族や仲間と今までのように暮らせるのは残りわずか。この本では、島で起きる数々の出来事を通して、4人がそれぞれいつか訪れるその日について葛藤しつつも進んでいく物語になっています。
個人的ベストシーン
ここからはネタバレも含みます
わたしと「兄弟」になろう!
冴島には、昔からの風習として「兄弟」という関係性が根付いています。兄弟といっても血縁関係はなく、成人近くなった島の男たちが杯を交わし血縁のある親戚のような関係になっていくこと。
火山を持ち、海で囲まれた冴島では、何かが起こった際に助け合えるようにこうした公的な繋がりが必要でした。
朱里の家には父も祖父もおらず、母と祖母と朱里の女3人暮らし。それでも、朱里の父や祖父が生前結んでいた兄弟の契りのおかげでたくさんの人たちに支えられて生きています。
そんな兄弟に関連するシーンでおすすめなのが本文78ページからのシーン。
「幻の脚本」を探しているという謎の青年が島中を嗅ぎ回っていることに嫌気がさした源樹が、残りの3人を突然招集します。源樹がそんなこと気にするなんて思ってもなかったという3人に対し、「島に迷惑をかけるなら話は別」という源樹。そのままの勢いで、「あんなやつに、2歳から島にいるのに島で生まれてないだけでよそ者扱いされるのがムカつく」と憤慨します。
幼い頃に親に連れられ東京から移住してきた源樹の家は、島で唯一のリゾートホテル。大規模な事業を展開するが故に地元の住民たちとはちょっと違った立ち位置にいます。ずっと島の子なのに島の子じゃないような言い方をされてきた源樹をそばで見てきた朱里。この場面で源樹が島の子として誇りを持っていること、島を本当に大事に思っていることを感じて嬉しくなります。
朱里には忘れられない思い出がありました。それはまだ幼稚園に通っていた頃のこと。
働き方の違いから源樹の両親が離婚することになり、源樹はどちらについていくか選択を迫られている時期。源樹が1人ぼっちになったように見えた朱里は反射的に「わたしと兄弟になろう!」と提案したのです。兄弟の契りは男同士がするもので、しかもまだ幼稚園生。本当に実現することは難しいけども、源樹を1人にしたくなかった朱里の精一杯の提案でした。
血縁関係って時に頼もしく時にめんどくさい、そんな関係ですよね。でも、切っても切れない関係性。
どこにいたって、連絡を取っていなくたって、ましてや絶縁していたって血縁があることは変わらない事実だからです。
わたし自身、人間関係に関しては色々経験してきました。あんなに仲が良かったのに環境が変わっただけで一気に連絡を取らなくなり、そのままもう2度と会っていない人たちがたくさんいます。公的な繋がりではないから、あっけなく関係を終わらせられてしまうんですよね。喧嘩別れしたわけでもないのに連絡を取れなくなっただけであっさりなくなっていく、まるで泡のよう。また然るべき時が来たら連絡を取りあえばいいじゃん、と思うかもしれませんが、その然るべき時が来なかったら一生その人とまた関係を持つことってないんです。
人間関係は変わっていくものなので仕方のないことではありますが、途絶えたらそれまでの関係性ってちょっと寂しい。
「兄弟」という風習、結婚とはまた違うつながりの作り方だと思うんです。冴島の子どもたちは、ほぼ全員が高校卒業と共に島を出ていきます。そこから島に戻ってくるのかはたまたもう戻ってこないのか、それは島を出る時点では誰もわかりません。数少ない同級生として暮らしてきた絆も環境の変化に耐え切れるのかと言われるとそれもまた分からない。確実にバラバラになってしまう未来が待ち受けている冴島の子たちは、あんなに仲良かったのに現象が起こる可能性と隣り合わせなのです。
ちゃんとした儀式を執り行って杯を交わし、大勢の人の前で結ぶ「兄弟」の契り。どこにいたって、連絡を取らなくなったって、あの人はわたしの「兄弟」だからと言えるのはどんなに心強いことなんだろう。この世に最終的に無条件に頼れる人がいるってなんて幸せなことなんだろう。
ちなみに冴島で「兄弟」の契りを結べるのは男性だけですが、1人の男性が結んだ「兄弟」の契りでできた関係は他の家族にも付随してきます。だからみんながみんな親戚のような関係性になっていくのです。
朱里にとっての「兄弟になろうよ!」という言葉は、ずっとわたしは味方だよの最上級でした。冴島の人たちは、「友人」よりももっと強固な関係性を結婚するという選択肢以外にも選べるんですね。本当に羨ましいです。
この「兄弟になろうよ!」は朱里側の思い出として描写されていますが、175ページから源樹側の思い出としても登場します。朱里自身は、源樹はこのことをもう忘れていると思い込んでいますが源樹はちゃんと覚えていたんですよね。それもしっかりと。
両親の離婚の際に島を出ていく母ではなく、島に残る父についていった理由は、朱里に「兄弟になろうよ!」と言われたから。当時の源樹にとって、朱里から言われたその言葉が嬉しくて、救いでした。
だから、島に、朱里のそばに残ることを決めたのです。
別れる時は必ず笑顔で
「どれだけ出がけに激しい喧嘩をしても、衝突しても、必ずいってきますといってらっしゃいを気持ちよくいうこと」
これは新の家、矢野家の家訓。
後悔することがあるかもしれないから別れるときは絶対に笑顔でいろという父の教えのもと、矢野家では毎日元気ないってきますといってらっしゃいが飛び交います。
冴島の人たちは、他の地域に住む人たちよりも人1倍別れに敏感です。
だからこそ、いつ別れる時が来てもいいように日々を大切に生きています。
永遠の別れって突然訪れるものです。人はいつ死ぬか分からない。それは誰でも同じこと。
冴島には、もう最初から決まっている別れがあります。高校卒業と共に島を出ていく子どもたちはもちろんのこと、大病を患ったりした時もそうです。病院がないため入院しようと思ったらこれまた島を出ていかねばなりません。そのまま島に戻れず亡くなる方がほとんどです。
あの時かわした言葉が最後になるかもしれないから、やがて別れの時は必ずくるから、一緒にいられる時間を大切にしたい。冴島の人々からはそんな決意がひしひしと伝わってきます。
この話を読んで、わたし自身もとても感銘を受けました。現在わたしも実家を離れ1人暮らし中。家族に何かあってもホイホイ帰れる距離ではありません。だからこそ1回1回の帰省が本当に重要なんですよね。電話やメールなんかじゃなくて、きちんと顔を合わせて交わしたあの時間が唯一無二だということに離れてから気がついたんです。中高生の時には何も感じなかったこのシーンが、上京して一気に心に沁みました。
だからこそ、東京に戻る際には、家族全員の顔をちゃんと見て別れを言ってから帰るようにしています。まだ寝ている弟もきちんと叩き起こして。
別れた時に後味が悪いと一生心に残りますからね。人生の中には絶交や絶縁という道を選ぶこともあると思いますが、後味が悪いのは同じだと思います。
あの時こうしてれば良かった、謝っておけば良かったという思いは、永遠の別れになってしまったらもうやり直すことができません。後悔が残らないように、別れる時は必ず笑顔で別れられるようにしたいですね。
終わりに
いかがだったでしょうか?
この物語を読むと、いつも人と人との繋がりについてよく考えさせられます。
人は出会いと別れを繰り返し、助け合って生きていきます。人間関係が移り変わるのは必然的なこと。
誰1人として一生変わらない人間関係で暮らすことはないと思います。だからこそ、1つ1つの関係を大切にしていきたいですよね。せめて、何の後悔もしがらみもなく別れたい。
冴島の人々を通じて、自分の人間関係について改めて考えてみるきっかけにするのもいいのではないでしょうか?
ここまでお読みくださりありがとうございました♪